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甲府地方裁判所 昭和57年(ワ)341号 判決

原告

田島次雄

右訴訟代理人弁護士

宮里邦雄

被告

日本国有鉄道清算事業団

右代表者理事長

杉浦喬也

右代理人職員

小野澤峯藏

江見弘武

高木輝雄

熊井信吉

田口肇

主文

一  原告が被告に対し雇用契約上の権利を有することを確認する。

二  被告は原告に対し、金一〇二九万五〇〇〇円及び昭和六一年一二月以降毎月二〇日限り金二〇万五九〇〇円を支払え。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  この判決は、第二項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文同旨

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1(当事者)

(一)  被告は、日本国有鉄道法(以下、単に「国鉄法」という。)に基づき設立された鉄道事業を営む公共企業体であったが、昭和六二年四月一日、日本国有鉄道清算事業団法により、名称が「日本国有鉄道」から、「日本国有鉄道清算事業団」と変更された。

(二)  原告は、昭和三七年八月一日、被告に雇用され、昭和五七年九月当時、被告の東京西鉄道管理局甲府駅営業係の職にあった。

また、原告は、国鉄労働組合(以下、単に「国労」という。)に所属する組合員で、右当時国労東京地方本部甲府支部甲府駅分会執行委員(組織部長)の役職にあった。

当時、原告の賃金月額は、金二〇万五九〇〇円であり、支給日は毎月二〇日であった。

2(免職処分及びその無効)

(一)  被告は、昭和五七年九月二〇日、原告に対し、国鉄法三一条に基づく懲戒処分として、原告を免職する旨の意思表示をした(以下、「本件処分」という。)。

(二)  右処分の理由は、「原告は、昭和五七年八月四日午後三時四五分ころから同六時四〇分ころにかけて、勤務時間中にも拘わらず上司に無断で担当する小荷物職場を離れ、出札室に入室して同室で執務中の出札助役に対しつばをはきつけたり、同助役の耳元に手を添えて大声でうそつき助役などと罵声を浴びせるなどした。このため仕事ができないと判断した同助役が助けを求めるべくダイヤルした電話を二回にわたり手で切るなど同助役の業務の執行を妨害し、更に、直接応援を求めに同室を出ようとした同助役の右足の脛を蹴り上げ、暴行を加え、その後、再び出札室に入室し、同助役に執拗につきまとい、同助役の業務の執行を妨害した。これらのことは、職務上の規律をみだし、職員として著しく不都合な行為であった。」というものである。

(三)  しかしながら、右免職事由は、事実に反するものであるから、本件処分は、何ら懲戒事由がないにもかかわらずなされたものであり、無効である。

(四)  仮に、原告の言動に懲戒事由に該当する事実があったとしても、免職事由に該当する重大な事実ではなく、最も重い処分である懲戒免職処分に付するのは懲戒権を濫用するものであり、無効である。

3(まとめ)

よって、原告は、原告が被告に対し雇用契約上の権利を有することの確認を求めるとともに、被告に対し、右雇用契約に基づき、昭和五七年九月から昭和六一年一一月までの賃金合計金一〇二九万五〇〇〇円及び昭和六一年一二月以降毎月二〇日限り金二〇万五九〇〇円の賃金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の(一)及び(二)の事実は認める。同(三)及び(四)の主張は争う。

三  被告の主張

1  本件懲戒事由は請求原因の懲戒の理由にあるとおりであり、この事実により、被告は右原告の行為が国鉄法三一条一項一、二号、日本国有鉄道就業規則六六条所定の懲戒事由に該当し、その程度が免職処分を相当とするものと判断し、原告を本件処分に付したものであるが、原告の右非違行為に至る経緯及び具体的事実は以下に述べるとおりである。

(一) 本件懲戒事由に至る経緯

(1) 被告全体の状況

被告は、公共輸送機関としての使命を遂行してゆく間に巨額にのぼる累積債務を抱えるに至ったことから、その経営の改善を図るため、地方交通線の整理、貨物部門の整理再編成、資産処分、要員削減、増収節約活動等の施策を実施し、再建に邁進していた。この間において、被告職員の士気、作業効率や職場秩序、規律が極めて劣悪な状態にあるとの指摘を受け、広く国民一般の批判を受けるに至った。これら労使関係における問題点は、いわゆる生産性運動の挫折に端を発する職場管理権の後退、管理者の弱体化を主因とするものであって、いわゆるヤミ手当、ヤミ休暇、勤務時間内の入浴や組合活動の放任、休憩時間の違法な増付与、違法な作業解放(いわゆるブラ日勤)、突発休暇の追認による管理者の下位職代務(いわゆる管理者対応)、同意のない臨時作業の不実施、時間内臨時作業への超過勤務手当支払等のいわゆる悪慣行や、ヤミ協定事項が職場に横行し、駅、運転区等の現場における職場規律の乱れには甚だしいものがあった。

このような悪慣行やヤミ協定事項等を一掃し、職場に管理権を確立して職場規律を回復することは喫緊の事項であった。

被告当局においては、機会をとらえてはこれらの是正方に努めてきたのであるが、従来その徹底を欠く憾みもあったところ、前述したような世論の昂揚に加え臨時行政調査会における審議内容、国会における議論等を踏まえ、この際かかる悪弊を根絶すべきこととし、昭和五七年三月運輸大臣の指示に基づいて、職場総点検を実施し、その結果判明した悪慣行、ヤミ協定事項については即時解消を図ることとして全国関係機関にこれを徹底した。

このような被告当局の施策により、漸くかかる悪慣行等は解消されつつあるものの、なお存置を主張して対抗している職場もあり、かかる職場秩序回復の過程において本件懲戒事案の発生した甲府駅は、全国的に見て最も職場規律の乱れた駅の一つとされ、同年三月には自由民主党に設置された国鉄再建小委員会を構成する議員団の立ち入り調査を受けたこともあって、当時同駅において職場規律を回復することは、被告における重要課題となっていた。

(2) 甲府駅の状況

前項で述べたような経緯を受けて、甲府駅においても、昭和五七年四月以降厳正な職場管理を行う方針が打ち出されることとなったが、悪慣行等の一掃のためには、管理者の粘り強い努力を必要とした。

小尾公造(以下、「小尾助役」という。)は、昭和五七年一月一八日八王子駅から甲府駅に転任し、出札担当の助役となったものであるが、前項のような職場規律の回復は重要課題であると受け止め、悪慣行の一掃に努力していた。

しかるところ、小尾助役は、同年六月二五日に発表された翌七月分の勤務割予定表(職員の一か月の日勤、徹夜勤務、非番、公休等の勤務予定を、職員の希望をも聞いて予め定め、前月の二五日に発表して周知させておくもの)につき、同駅営業係出札担当の山内猛職員(以下、「山内職員」という。)から、秋に結婚を予定しており、そのためなるべく有給休暇を残しておきたいので、同年七月七日に申し込んでおいた年休を公休とし、同月八日に予定されている公休を年休の扱いにして欲しいとの申込を受けた。勤務割予定表にかかる変更を加えると、同月八日は職員の申し込みによらず、当局の都合により生じた年休ということになり同駅においてはそのような場合職員が一方的に出勤することが多いため、いわゆるブラ日勤(出勤時と退勤時のみ確認を受けるが、その他の勤務時間内は何ら仕事がない。)扱いとなる。このような場合、職員は年休を使用したこととならないのである。かかるブラ日勤の容認による年休の温存行為は、もとより到底許されない社会常識に反する取り扱いであり、職場規律の回復に逆行するものとして認められないものであったから、小尾助役は、「他所でもやっていないし、認められない」旨を述べてこれを拒否したのである。山内職員は七月七日に至るまでの間に再度同じことを求めてきたが、小尾助役はこれを認めず、同職員も結局了承してこの問題は終わったのである。

(二) 本件懲戒事由

原告は、昭和五七年当時甲府駅営業係小荷物担当として同駅小荷物室に勤務し、国労甲府駅分会組織部長であったが、原告の非違行為は以下のとおりである。

(1) 第一回目(午後三時四五分ころから同四時ころまで)

原告は、同年八月四日午後三時四五分ころ、勤務中であったにもかかわらず、小荷物室を離れ、無断で出札室に入り、席についていた小尾助役に対し朝日新聞の切抜記事のコピーを示して、これに対する感想を求めるなど同助役の業務を妨害しようとした。小尾助役は、電話の修理人が来ていたので席を立ち、原告を相手にしなかった。同四時ころ、小尾助役が席に戻ったとき、原告は同助役に対し、台風一〇号による事故関係の業務掲示の件について詰問したが、小尾助役は殆どとりあうことなく北口の出札室へ行くために席を立ち、原告も出札室を出た。

(2) 第二回目(午後四時二〇分ころから同五時二〇分ころまで)

原告は、勤務時間中である午後四時二〇分ころ、再び無断で出札室に入り、北口出札室から戻り自席で執務中の小尾助役に対し、「たいした仕事はしてないな」と業務妨害を開始し、まず、勤務割表の提示を求めて、小尾助役から受け取った勤務割表を見ながら、「非休点数は鉛筆書でなく、ボールペン書にしろよ」、「古い勤務割表はあるか」などと難癖をつけたが、同助役は相手にせずに仕事を続けていた。

その後、原告は出札室の休憩室に入り「出札は助役にごまかされているんだ」などと発言していたが、山内職員から前記年休問題についての話を聞き、同四時五〇分ころ、山内職員及び深沢一幸職員(以下、「深沢職員」という。)を伴って、七番窓口で指定券発売業務に従事していた小尾助役の扱っていた電算機の脇に立ち、同助役に対し「勤務予定表作成時の公休、年休の勤務認証について、出札班役員に言ったのと同じことを言え」と詰問した。これに対し、同助役は業務中のことでもあり、相手にしなかったところ、原告は「黙っているのは班役員に言ったことは事実だな」などと大声で繰り返していたが、原告は、突然、七番出札窓口の電算機の内側に入り、小尾助役のすぐ脇で同助役の耳元でつばをはきかけながら、大声で「うそつき助役」と怒鳴ったため、同助役は原告のつばが右頬にべっとりつき耳がガーンとする状態になった。

午後五時ころ指定券の前売り業務も終了したため、小尾助役は、自分の席に戻り仕事を始めようとしたところ、原告は、なおも、山内、深沢両職員とともに、小尾助役の机の前に立ち、前と同じ内容のことを大声で繰り返した。同助役は、これでは仕事ができないと判断し、「人を呼びます」と言って、同助役の左脇にある電話機をとりダイヤルを回して首席助役に電話をしようとしたところ、原告は左脇にきて「だめよ」と言いながら右手の二本の指で押さえて電話を切った。小尾助役は、再度ダイヤルを回したところ、原告は、同様に指で押さえて再び電話を切ったのである。同助役は、原告に対し、「なぜ切るんだ」と注意すると、原告は「話がわからなければ大声で言ってやろうか」と言いながら、両手をメガホン状にして、同助役の耳元で大声で「うそつき助役」と怒鳴ったため、同助役の耳は「ガーン」となり、同助役は身の危険をも感ずるに至ったので、助けを求めるために「人を呼んできます」と言いながら席を立ち、出札室の玄関口に向かった。原告は、「俺もついてゆくぞ」と言いながら、同助役のあとを追ってきて、同助役が玄関口で靴を履いたところ、原告は、「俺のサンダルを踏んだな」と言って、いきなり同助役の右足の脛を蹴り上げた。直接身体に加えられた暴力に驚いた同助役は原告に対して「私の足を蹴ったな。なぜ蹴るんだ」と抗議すると、原告は「お前が俺のサンダルを踏んだから蹴ったんだ。なぜ俺のサンダルを踏んだんだ」と言い返し暴力を肯定した。

出札室を出たあとも、原告は、同助役と同様のやりとりを数回繰り返しながら、駅長事務室へ向かう同助役につきまとった。旅行センター入口付近の通路で、小尾助役は、水庭英雄助役(以下、「水庭助役」という。)の通報により出札室方向へ向かっていた佐久間英雄庶務担当助役(以下、「佐久間助役」という。)と出会ったので、佐久間助役に対し、右脛の蹴られた部分を示して「田島職員に蹴られました」と報告した。佐久間助役は、小尾助役に付きまとっていた原告に対し、「どうしたのだ、なぜ蹴ったんだ」と質したところ、原告は「小尾助役が俺のサンダルを踏んだからだ」と自己の暴力を正当化するとともに、更に大声で小尾助役を詰問し続けた。そこで、佐久間助役がみかねて、原告の腕をとり、その場から外そうとしたところ、原告は、「なぜ俺の腕に触れるんだ」と今度は佐久間助役に難癖をつけるなど理不尽な行動に終始した。更に、水庭助役の通報により同じく出札室に向かっていた小俣招志営業総括助役(以下、「小俣助役」という。)が、湯飲み場に通じる廊下付近で小尾助役に会い、同助役から、田島職員に足を蹴られた旨の報告を受け、小尾助役になおもつきまとっていた原告に「なぜこのようなことをしたんだ」と質したところ、原告は「それは出札助役に聞け」と数回繰り返して立ち去った。

(3) 第三回目(午後六時二〇分ころから同六時四〇分ころまで)

原告は、午後六時二〇分ころ、無断で出札室に入り、通学定期運賃改定準備のため執務中の小尾助役の前の椅子に座り、同助役に対し、勤務予定表作成時の公休、年休の勤務認証について、前回と同じ内容のことを繰り返し業務妨害を始めたので、同助役は、「そのことは班役員に話してあるからあなたに言う必要はない」と断り、「また蹴られるからな」と付け加えた。原告は「何言うんだ。蹴ったことは、俺がしゃべらなければ問題にならないよ」とうそぶき、重ねて暴力を加えたことを肯定した。

更に、原告は、執務中の小尾助役に、年休のことについて何度も同じことを繰り返し詰問し、業務を妨害するので、同助役は困りはてて、駅長室に赴き駅長に右の状況を直接報告した。駅長室から、直ちに、井上勝義首席助役、小俣助役、羽根井信俊助役らが出札室に向かい、原告に対し、業務妨害行為であることを告げ、出札室からの退去を命じた。原告は、暫く抗していたが、午後六時四〇分ころになってようやく出札室を退去した。

(三) 本件懲戒免職処分を決定する際考慮した情状

原告は、昭和五七年八月一日、突発休暇をとった輸送係員に対する管理者対応のため公休出勤した飯塚雄三配車助役(以下、「飯塚助役」という。)に対し、「対応に入るなら作業ダイヤどおりにやれ。おれは非番日だから一日中つきまとってやる」と言い、午前一〇時ころから約二時間位飯塚助役の後をつきまとい、作業状況を監視するなどのいやがらせを行った。

また、昭和五五年三月以降、甲府駅管理者に対し、この種のいやがらせを行い、暴言を吐くなど、職員として著しく不都合な行為を数多く行ってきたものであって、本件懲戒免職処分を受けるまでに争議行為に関与して、国鉄法三一条により、昭和四八年一月一日減給三か月一〇分の一、昭和四九年八月一日減給三か月一〇分の一、昭和五〇年九月一日戒告の各懲戒処分を受けた他、昭和五六年一二月一九日厳重注意を受けている。

2  以上のとおりであり、原告の本件懲戒事実は、いずれも日本国有鉄道就業規則六六条一号、六号、一五号及び一七号に、同職員管理規程四一条一号、六号、一五号及び一七号に該当するので、国鉄法三一条一項一号及び二号に該当するものである。

従って、本件懲戒免職処分は適法かつ相当であり、また懲戒権の濫用にも該当しない。

四  被告の主張に対する認否

1  被告の主張1の(一)の(1)のうち、被告が巨額の累積債務を抱えており、貨物部門の整理、資産処分、要員削減等を実施していること、甲府駅について自由民主党の議員団の立ち入り調査が行われたことは認めるが、その余の点は否認ないし争う。

2  同1の(一)の(2)のうち、小尾助役が八王子駅から甲府駅に転任してきた出札担当の助役であること、昭和五七年六月二五日ころ発表された翌七月分の勤務割予定表について、山内職員が被告主張のような理由で、同月七日に申し込んでおいた年休を公休の扱いにして欲しいとの申込をしたことは認めるが、その余の点は否認ないし争う。

3  同1の(二)の事実のうち、原告が甲府駅営業係として小荷物室に勤務し、国労甲府駅分会組織部長であったことは認めるが、その余の事実は否認する。これについての原告の主張は後記五のとおりである。

4  同1の(三)のうち、昭和四八年から同五六年までの間に、原告が、争議行為に関与したとして、減給、戒告の処分と厳重注意を受けたことは認めるが、その余の事実は否認する。被告主張の飯塚助役に対するいやがらせについての原告の主張は後記五のとおりである。

5  同2の主張は争う。

五  原告の主張

1  本件処分の背景とねらいについて

本件処分は、被告が全国的に展開していた職場規律回復という労務政策のもとで、職場規律回復を口実にみせしめ的処分としてなされたものである。

2  昭和五七年八月四日の事実関係について

(一) 原告は甲府駅の小荷物担当の営業係であったが、右同日は、台風一〇号の影響で、甲府駅に関係する荷物電車は全部運休であった。そのため、小荷物担当の営業係である原告は、勤務場所である小荷物室に詰めていたものの、具体的業務が全くない状態にあった。また、当日は、旅客列車のダイヤも台風のため混乱していた。

(二) 甲府駅においては、これまで、このようにダイヤが混乱しているときには、組合の分会役員も職場を巡回して点検する慣行があったところ、当日は、分会三役や業務部長が休みであったため、原告は、組織部長である自分において、それを行う必要があると考え、前述のとおり、具体的業務も全くないところから、巡回及び点検を行うべく、上司が不在であったため同僚に断ったうえで、午後三時三〇分ころ、小荷物室を出て同じ営業係の出札室に赴いた。

(三) 第一回目

そのころ、出札室窓口付近は、切符を買う客と列車の運行状況、発着時刻を尋ねる客で輻輳しており、それを見た原告は、見やすい場所に列車の運行状況等について案内掲示板を出す必要を感じた。

そこで、原告は出札室に入り、まず事務机に向かっていた小尾助役に対し、右案内掲示板を出す必要性を説き、それを勧めた。これに対し、同助役は「忙しくてな」と応えただけでそれ以上の応対をせず、原告の方で掲示を出してよいとの申し出に対しても、返事をしなかった。

そこで、原告も、それ以上のやりとりをやめたが、小尾助役のところを立ち去る前に、当日の朝日新聞朝刊に掲載された国鉄の労使協定や慣行に関する記事について、同助役の注意を喚起しようと思い、他の組合員に見せるため所持していた同記事のコピーを同助役に見せた。同助役は、右記事を見たかどうかの問に対しては、「見ていない。見せてくれ。」と答えたが、それ以上の話はしないため、原告は、小尾助役の許を離れた。

その後、原告は、出札室の休憩室において、休憩をとっていた出札担当の職員に対し、右新聞記事の話をしたり、職員から勤務に関係した小尾助役に対する苦情を聞いたりしていたが、その主なものは勤務予定上の休暇の取扱に関するものであった。すなわち、甲府駅では出札室のように二四時間勤務体制をとる職場においては、一昼夜交代勤務の形態をとる関係から、翌月の勤務予定を定めるにつき、職員に休暇申込簿に休暇希望を書かせ、それをもとに勤務割を作成していた。そこで申し込まれる休暇は、第一次的には、当局が職員に当然与えなければならない所定の公休、非休、代休等についての希望日であった。従前は、このシステムが慣行として確立しており、勤務割予定表上公休等が確定した後、更に休暇が必要なときに年休が使われていたが、かかる勤務割の作成方法は、これまでは、当局側においても合理的であると考えられてきていた。ところが、小尾助役は、この慣行を無視し、年休の日数を早く消化させるために、昭和五七年七月分の勤務割から、右休暇申込を年休申込として取り扱い、休暇を欲しない休暇申込日以外の日に公休等を指定して勤務予定を作成するようになった。このような慣行無視について、職員が小尾助役に対し抗議をしたところ、同助役は、他の職場も同様の取扱をしている旨答えていた。原告はこのような休憩室でのやりとりのあとすぐに出札室を出て、いったん小荷物室に戻った。

(四) 第二回目

原告は、午後四時三五分ころ、再度出札室に出向いた。まず、小尾助役に勤務割作成の用紙を見せてもらい、鉛筆書きになっていたのでボールペンで書くように話したのち、休憩室に行った。そこでは、山内職員、深沢職員が食事をとっていたが、山内職員は食事が喉を通らない様子であった。同人の話によると、午後三時四〇分ころ、休暇の件で小尾助役に説明を求めたがとりあってもらえなかったということで、同人はかなり興奮し、憤慨していた。そこで、原告は山内職員から悩みを訴えられ、小尾助役に対し、分会役員として是正を求める必要を感じ、一緒に小尾助役と話をしようということで、山内職員、深沢職員とともに、小尾助役のところに行った。

小尾助役の机の前で、原告は小尾助役に対し、「出札だけ、なぜ他の職場と違うのか。年休が強制的にいれられている。」などと話し、山内職員の七月七日、八日の勤務種別変更の件について話しかけた。しかしながら、小尾助役は原告らの発言に対し、全く応答せず黙っていた。そのうち、小尾助役は自席を立って七番窓口に逃げるように移動した。原告らも七番窓口に入った小尾助役のところに移動した。小尾助役が二、三人の客に指定券を発売し、客がいなくなった機会をとらえて小尾助役に話しかけた。原告は小尾助役に対し、もう一度説明を求めようとしたが、小尾助役は全く返答しなかった。山内職員、深沢職員の両名も小尾助役の態度に立腹興奮し、「なぜ田島執行委員には説明できないのか」などと話していたが、これに対しても小尾助役は耳を貸そうとしなかった。この際、原告が小尾助役につばをかけたという事実はまったくなかった。七番窓口でのやりとりは約五分位であった。隣の六番窓口で執務していた窪島栄文職員(以下、「窪島職員」という。)が、「助役、窓をしめてうしろで話をしたら」と発言したことがきっかけとなり、小尾助役は自席に戻った。そこで、小尾助役の机の前に行き話を続けようとしたが、同助役は相変わらずこれにまったく答えようとせず、自席の上に置いてある鉄道電話の受話器をあげてダイヤルをまわし、二回電話をかける仕種をしたが、相手がでなかったらしく受話器を置いた。そして、原告らに「駅長室に行く」と言って出札室を出て行こうとした。このような小尾助役を見て、原告もこれ以上の話しかけは無意味と考え、五時半からの食事をとるため、小尾助役のあとから出札室を出ようとした。その際、狭い出口の土間に多数の脱いだ履物があったこともあって、小尾助役の足が原告の履物の上に乗り、これを履こうとしていた原告の足が同助役の足に当たるという状況が生じた。それまで原告から問い詰められていた小尾助役は、このように足がはずみで当たったのを故意と曲解し、出札室を出たところで、原告に対し「蹴ったな」と言い、これに対し原告が「そうじゃないよ」と言い返したが、小尾助役はそのまま、駅長室へ向かうことになった。

(五) 第三回目

原告は午後六時二〇分ころ小荷物室を出て出札室に赴いた。小尾助役はいないと思っていたところ、同助役がいたので原告は先程の年休の件はどうかと話しかけた。同助役はこれに全く答えず、駅長室へ電話をかけ、小俣助役と井上首席助役がやってきて五、六分話していると、羽根井助役(東京西鉄道管理局労働課課長補佐)が来て、「業務妨害だ。出札室から退去しろ」などと強い調子で言うので原告はすぐに同室から退去した。

3  飯塚助役に対する件について

原告は、昭和五七年八月一日、午前八時三〇分で勤務が終わり、明け番で小荷物室にいたところ、同九時すぎころ構内係の組合員から電話で配車事務室で一人休んでいて作業が滞っているから行ってみてくれとの連絡を受けた。配車事務室に同九時三〇分ころ行くと、飯塚助役が机に向かって作業をしていたので、原告は、同日配車係の佐野が年休で休むことが七月二〇日ころにはわかっていたのにどうして勤務の手配をしなかったのかと同助役に説明を求めたところ、同助役はこれに答えず、黙って作業をしていた。そこで、原告は同助役が下り担当の作業で忙しそうな様子であったので作業が終わるのを待っていた。同一〇時過ぎころ、飯塚助役が八王子方面から貨車が入るというので事務室を出て行ったので、原告も一緒に事務室を出て、ホーム上で、同助役が貨車の確認作業をしている状況を五分位見ていた。同作業が終わり、同助役が配車室に戻ってきたので、原告も同助役と再度話をするため同事務室に行き、佐野職員の勤務について事故欠勤にすると同助役が言うので年休として認めるべきだなどの話を約三〇分位行ったのである。その後、同助役が駅長室に行くということで事務室を出て行ったので、原告も小荷物室へ戻るべく一緒に同室を出た。

六  原告の主張2に対する認否及び反論

1  原告主張2の(一)の事実のうち、同日は台風一〇号の影響もあって旅客ダイヤが混乱していたことは認めるが、その余は争う。同日の荷物電車の運休は一部であり、小荷物担当の営業係である原告の具体的業務が全くない状態ではなかった。

2  同(二)の事実のうち、原告が午後三時三〇分ころ小荷物室を出て出札室に赴いたことは認め、当時上司が不在であったとの点は否認し、その余の事実は知らない。

3  同(三)の事実のうち、原告が小尾助役に対して案内掲示板を出すように勧めたこと、原告主張の新聞記事を同助役に見せたこと、甲府駅の出札担当営業係は二四時間勤務体制のため一昼夜交代勤務の形態をとること、翌月の勤務予定を定めるについて職員の希望を斟酌して勤務割を作成していることは認め、その余は争う。同助役は休暇付与順序を無視したり、年休の日数を早く消化させるために休暇申込を年休申込として取り扱ったりしたことはない。

4  同(四)の事実のうち、原告が七番窓口の小尾助役のところに、山内、深沢両職員とともに来たこと、窪島職員が小尾助役に声をかけたこと、同助役が自分の机に戻ったこと、原告らが同助役の机の前に行き同じ内容の話を繰り返したこと、同助役が電話のダイヤルを回したが二回とも通話できなかったこと(その原因は前記被告の主張のとおりである)、同助役が出札室を出て行こうとしたこと、小尾助役が原告に対し「蹴ったな」と言ったことは認め、その余の事実は否認する。

5  同(五)の事実のうち、原告が出札室にきて小尾助役の机の前で同助役に話しかけたこと、同助役が電話をかけたこと及び首席助役が出札室にきて原告と話したことは認め、その余は争う。

第三証拠

本件記録中の書証・証人等目録記載のとおり。

理由

一  当事者の地位について

請求原因1の事実は、当事者間に争いがない。

二  本件処分の存在について

請求原因2の(一)及び(二)の事実は、当事者間に争いがない。

三  懲戒事由の存否について

1(一)  (証拠略)、原告本人の尋問結果並びに検証の結果を総合して認められる事実及び当事者間に争いのない事実は、次のとおりである。

(1) 被告は、昭和五七年三月、職場規律を回復するために職場総点検を実施したが、その結果、甲府駅は、全国的にみて最も職場規律の乱れた駅の一つとされた。このため、甲府駅においては、同月一〇日、国労の甲府駅分会長に対し、「職場規律の確立について」なる書面を交付するなどして、職場規律の確立のための努力をしていたが、その重点項目の一つに、年次有給休暇の処理方法の問題があった。

このため、甲府駅長は、年休申込票(〈証拠略〉)を使用することにより年休の取扱方法を改善する方針を打ち出したが、職員は、当局が定めた「休暇等申込簿」によらず、従前の「休暇申込簿」(〈証拠略〉)に、明け番、公休をも含む希望日を記入していた。

(2) 小尾助役は、同年一月、甲府駅に転任してきた出札担当の助役であるが、同年六月の勤務表を作成する際、出札担当の職員が当局の定めた休暇等申込簿によらずに、従前の休暇申込簿(〈証拠略〉)による休暇の申込をしてきたのに対し、これを休暇の申込はなかったものとして、勤務予定表を作成したため、当初、一八日のいわゆるブラ日勤が発生して問題となった。

そして、同助役は、同年六月二五日に発生した翌七月分の勤務予定表においては、休暇申込簿による休暇の申込に対し、自由年休(年休には、計画的にとるように取り扱われている計画年休と職員が指定する時季に自由に取得できる自由年休がある。)を含めて休暇の割当を行い、ことに山内職員の休暇については四日の自由年休を含む一一日の休暇を割り当てた勤務予定表を作成した。

これに対し、山内職員は、翌二六日小尾助役と出札班の交渉の際、秋に結婚式を予定しているから、なるべく有給休暇を残しておきたいとして、七月七日に申し込んでおいた年休を公休とし、翌八日に予定されている公休を年休の扱いにして欲しいと申し入れた。この申し入れに対し、小尾助役は、そのように変更すると、八日の年休は、職員の申し込みによらない年休ということになり、甲府駅においては、そのような場合職員が一方的に出勤するといういわゆるブラ日勤扱いとなることもあり、駅長の方針で、他の職場でもやっていないから種別変更は認められないと言って変更申し入れを拒否した。

(3) 山内職員は、同年七月七日の国労甲府駅分会委員会で同人の休暇問題が取り上げられた際、出札室以外の職場(西部構内)で勤務種別の変更が行われていることを知り、同月一〇日小尾助役に説明を求めたところ、同助役は、八月からはその職場でも勤務種別変更は行わないことになっていると説明した。そこで、山内職員が「他の職場で八月以降勤務種別変更が行われた場合は自分の七月七日、八日の勤務はどうなるのか」と尋ねたところ、小尾助役は、そのような場合には七月八日の勤務は普通日勤にしてもよいと答えた。

その後、山内職員が西部構内の八月の勤務予定表を調べたところ、同職場においては、八月分の勤務予定表の作成においても勤務種別変更が行われていることを知った。そこで、同人は、七月下旬か八月初めころ、西部構内の実例をもとに、再度小尾助役に西部構内の勤務予定表のコピーを見せて班委員の深沢職員とともに説明を求めたが、小尾助役は、自分のやり方が正しく構内係の助役が間違っていると言い、他の職場でやっているなら七月八日を普通日勤にしてもよいと言った覚えはないと答えた。

(4) 原告は、同年八月四日、午前八時三〇分から翌日午前八時三〇分までの徹夜勤務に就き、小荷物室において業務に従事していた。この勤務は、休憩時間が、午前一〇時一五分から一五分間、午前一一時一〇分から六五分間(昼食)、午後三時から一五分間、午後五時三〇分から四五分間(夕食)、午前六時から三五分間、それぞれ設けられており、別に睡眠時間が午前二時から午前六時までとなっていた。しかしながら、当日は、台風一〇号の影響で、甲府駅に関係する荷物電車は運休しており、原告は、小荷物室にいたものの業務が殆どない状態にあった。

(5) 原告は、同日午後三時三〇分ころ、甲府駅分会の組織部長としての職場の巡回、点検を行おうと考え小荷物室を出た。なお、原告は、以後三回小荷物室を離脱しているが、その際、いずれも小荷物担当助役の承認を受けなかった。

そのころ、出札室窓口付近は、台風一〇号のため、客で輻輳しており、それを見た原告は、列車の運行状況についての案内掲示板を出す必要があると考えた。そこで、原告は出札室に入り、事務机に向かっていた小尾助役に対し、案内掲示板を出すように勧めた。これに対し、同助役は殆どとりあうこともなかった。原告は、朝日新聞の切り抜き記事のコピーを示して、これに対する感想を求めようとしたが、小尾助役は公衆電話の修理人が来ていたので席を立ち、原告を相手にしなかった。

その後、原告は、出札室の休憩室において、休憩をとっていた出札担当の職員に対し、右新聞記事の話をしたり、山内職員から前記(3)のような経過を聞いたりし、小荷物室でも勤務種別変更は行われていると話した。原告は、このような休憩室でのやりとりのあと出札室を出て一旦小荷物室に戻った。

山内職員は、この休憩室での話の後、小尾助役に対し、小荷物室の例も加えて前記七月七日、八日の勤務種別変更の件で話をしたが、小尾助役は、再びそんなことは言った覚えはないと否定した。

(6) 原告は、午後四時三五分ころ、再び出札室に出向き、まず小尾助役に勤務割表の提示を求めて、それが鉛筆書になっていたのでボールペンで書くように話した後、休憩室に入ったところ、山内、深沢両職員が食事をとっていたが、山内職員は食事が喉を通らない様子であった。同人の話によると、午後三時四〇分ころ、休暇の件で小尾助役に説明を求めたが、とりあってもらえなかったということであり、同人はかなり興奮、憤慨していた。そこで、原告は、小尾助役と話をしようと山内、深沢両職員とともに同助役のところに行った。

小尾助役の机の前で、原告は同助役に対し、「出札だけなぜ他の職場と違うのか。年休が強制的にいれられている。」などと話し、山内職員の七月七日、八日の勤務種別変更の件について話しかけた。しかしながら、同助役は原告らの発言に対し、全く応答しなかった。そして、小尾助役は自席を立って七番窓口に移動した。原告らも、七番窓口に入った小尾助役のところに移動した。原告は、客の切れるのを待って、同助役に対し、「勤務予定表作成時の公休の勤務認証について、出札班役員に言ったのと同じことを言え。」と詰問した。同助役が、これを相手にしなかったところ、原告は、「黙っているのは班役員に言ったことは事実だな。」などと大声で繰り返していたが、突然、七番窓口の電算機の内側に入り、同助役のすぐ脇で、大声で「うそつき助役」と怒鳴った。この時、隣の六番窓口で執務していた窪島職員が、「助役、窓をしめて後ろで話をしたら」と発言したことがきっかけとなり、小尾助役は自席に戻った。原告は、山内、深沢両職員とともに、小尾助役の机の前に立ち、同じことを大声で繰り返した。同助役は、「人を呼びます」と言って、電話機をとりダイヤルを回して電話しようとしたところ、原告は同助役の左脇にきて右手の二本の指で押さえて電話を切った。同助役は、再度ダイヤルを回したところ、原告は同様に指で押さえて電話を切った。

同助役が、原告に対し、「なぜ切るんだ」と注意すると、原告は、「話がわからなければ、大声で言ってやろうか」と言いながら、両手をメガホン状にして、同助役の左耳もとで、大声で「うそつき助役」と怒鳴った。小尾助役は、「人を呼んできます」と言いながら席を立ち、出札室の玄関口に向かった。原告も、同助役のあとを追い、同助役が玄関口で靴を履いたところ、原告は「俺のサンダルを踏んだな」と言って、同助役の右足の脛の部分を蹴った。

出札室を出たあとも、原告は同助役のあとをついて行ったところ、旅行センターの入口付近の通路で佐久間助役と出会い、小尾助役が佐久間助役に、蹴られた部分を示しながら原告から蹴られた旨報告すると、佐久間助役は原告に対し「どうしたのだ、なぜ蹴ったんだ」と詰問した。そして、同助役が勤務時間中であることを問題にし、作業ダイヤを確認するため小荷物室に向かったところ、原告も小荷物室に戻った。

(7) 原告は、午後六時二〇分ころ、小荷物室を出て出札室に赴き、小尾助役に対し、年休のことについて繰り返し質問した。同助役は、駅長室に赴き、右状況を報告したので、駅長室から、井上首席助役、小俣助役、羽根井補佐が出札室に向かい、原告に対して、業務妨害行為であることを告げ、出札室から退去を命じたので、原告は、午後六時四〇分ころ、同室から退去した。

(二)  以上のとおりである。これに対し、原告本人は、(6)の小尾助役が電話をかけるためダイヤルを回した際、原告が電話を切って妨害したということはなく、同助役は相手が電話に出なかったから受話器を置いたのであり、また、原告が小尾助役に話しかけた際、手をメガホン状にして同助役の耳元で大声を発したこともない旨供述し、証人山内猛及び同深沢一幸もこれにそう供述をするが、証人小尾公造及び同水庭英雄の各証言に照らすと、右各供述を信用することはできない。また、原告本人は、原告が出札室出入口において小尾助役を意図的に蹴ったことはないと供述するが、これに関する原告の供述はあいまいな点が多く、証人小尾公造、同佐久間英雄、同小俣招志の各証言に照らすと、これを信用することができない。但し、証人小尾公造が「原告がビシッという音とともに柔道でいう足ばらいで決まるという感じで蹴ってきました」と供述する点は、検証の結果から認められる出札室出入口の広さなどを考慮すると多分に誇張を含むものと推認される。

他方、証人小尾公造の証言中、原告が、七番窓口の電算機の内側において、同助役の耳元で大声で「うそつき助役」と怒鳴った際、つばをはきかけ、そのため同助役の右頬に原告のつばがべっとりとついたとする部分及び同趣旨の現認報告書(〈証拠略〉)は、原告本人の尋問結果、証人山内猛及び同深沢一幸の各証言に照らすと、原告が大声で「うそつき助役」と叫んだ際、至近距離であったためつばが飛んだものを誇張している疑いもあり、結局、右証人小尾公造の証言等から、原告が意図的につばをかけたものと認定することはできない。

他に前記(1)ないし(7)の認定を覆すに足る証拠はない。

2  右認定したところによれば、原告は勤務時間中三回にわたり上司に無断で自己の職場である小荷物室を離れ出札室に赴きその助役に対し執拗に交渉を迫り業務を妨害し暴言を吐いたうえ暴行を加えたものである。かかる行為は、少なくとも、被告の就業規則(成立に争いのない乙第一号証)六六条一号、六号、一五号、一七号に、同職員管理規程(成立に争いのない乙第二号証)四一条一号、六号、一五号、一七号に規定する懲戒事由に該当するものというべきである。

四  本件処分の効力について

1  国鉄法三一条一項及び同項一号の業務上の規程である被告の就業規則によれば、懲戒処分は、免職、停職、減給、戒告の四種類とされている。このうち、具体的にどの処分を選択するかの基準を定めた規定はなく、懲戒権者である被告の総裁の裁量に一応委ねられていると解するのが相当である。しかしながら、免職処分については、他の懲戒処分と異なり、職員としての地位を失わせるという重大な結果をもたらすものであるから、その裁量の範囲も無制限ではなく、処分の対象となった行為の動機、態様、結果、当該職員の行為前後の態度及び処分歴等の諸事情に照らし、免職処分が当該行為との対比において甚だしく均衡を失し、社会通念上合理性を欠くと考えられる場合には、右免職処分は裁量の範囲を超え違法となるものというべきである。

2  そこで、本件処分が社会通念上合理性を欠く裁量の範囲を超えた処分であるか否かにつき検討する。

(一)  前記認定によれば、本件は、山内職員の休暇問題を契機としており、同問題における小尾助役の態度は前記認定の経緯をみれば妥当性を欠く点がなかったとはいえない。原告の本件行為は勤務時間中の組合活動として許容される範囲を超えているが、山内職員からこの間の経過を聞き同職員の態度をみて、分会の組織部長として交渉しようとしたのであり、動機に酌むべき点がある。

(二)  また、原告は前後三回にわたって故なく職場を離脱しているが、前記認定のとおり、原告の業務は当日殆どなかった。

(三)  原告の暴行の態様は前記認定のとおりであり、処分の理由のうち、七番窓口において小尾助役に対し意図的につばをはきかけたとする点は認定することができないのであるから、その重要な点について事実の基礎を欠くものというべきである。また、出札室出口における暴行の点についても、処分理由のいうように「蹴り上げた」とまでは認められず、これに関する証人小尾公造の供述に誇張が含まれると認められることは前記のとおりである。

(四)  更に、被告は、処分の際に考慮した事情として、昭和五七年八月一日、原告が飯塚助役に対していやがらせを行ったと主張するが、この点に関する証人飯塚雄三の証言は曖昧であり、到底被告の主張のとおりの事実を認めることはできない。

(五)  原告が昭和四八年から同五六年までの間に、減給二回、戒告及び厳重注意各一回の処分を受けていること、しかし、これらはいずれも争議行為に関与したことを理由とするものであることは当事者間に争いがない。

以上検討した諸般の事情を考慮すると、原告の被告職員としての身分を失わしめる本件懲戒処分は、その原因となった行為等との対比において甚だしく均衡を失し、社会通念上合理性を欠くものといわざるを得ない。従って、本件処分は、懲戒権の裁量の範囲を超えた違法なものとしてその効力を有しないものというべきである。

五  結論

以上の次第により、原告の本訴請求はいずれも理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 篠清 裁判官 鈴木健太 裁判官 駒井雅之)

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